『龍様、昇任おめでとうございます!』
「諸君、ありがとう」
十数人の仲間が盃を共に掲げてくれる。飯綱丸龍は自邸でこの日をもって大天狗へと昇任した。
「本当におめでとうございます。こちらつまらぬ物ですが……」
「是非とも今後ともご活躍いただき、当家もお引立てのほどを」
「当家の倅が才に恵まれましたが故、是非、飯綱丸様の側近として」
昇任祝いと称して配下の鴉天狗達が次から次へと手を変え品を変え、お近付きになろうとゴマをすってくる。最初は悪い気は抱かなかったが、徐々に鬱陶しくなってくる。社会で生きていくために上に媚びて、忖度をすることが重要な要素の一つだと分かっている。自身もそうしてきたし、上に行く天狗はそうだった。黙して、貼り付けた仮面の笑顔と相槌で答えるしかない。
ようやく一通り終えた頃になると酔った天狗達が余興で歌って踊り始めた。そのタイミングを見計らい、外に出ていく一人の天狗を見逃さなかった。
厠へ行くと言って、廊下に出る。縁側へ向かう羽が見え、後ろを付いていく。おそらく、相手も気付いているだろうが、あえて無視している。かなり、無礼だが、むしろそれが面白い。
龍は縁側に出ると背後を確認し、誰もいないことを確認する。前を向くと件の天狗も立ち止まっていた。
「つまらなさそうだな」
「ええ、つまらないです」
振り返ってきた天狗は全てを見下したような目をしている。目の前にいる大天狗さえも。
「この天狗社会でそれでは上に行けないな」
「構いませんよ。私は好きなことでやっていきたいので」
「……お前、名は?」
「射命丸文と申します」
龍は目を見開く。以前、射命丸の家は鬼が妖怪の山を統治していた当時、鬼と天狗の調整役という重要な役を任せられ、両者の対立を何度も収めてきた家である。鬼が去った後、役目自体が無くなり、閑職に就く代が続いていたと聞く。
「その才を天狗社会のために使わずに何に使う?」
「幻想郷のため」
「ほう」
「次代の巫女を探す役目を賢者に仰せつかったので」
博麗の巫女を選抜することは幻想郷の命運を握っているのと同義である。そして、それは秘匿の役目とされているはずだ。
「何故、私にそのことを?」
「あなたは信頼できると先程の宴で見定めました」
「面白い奴だな」
下に見られているというのに、悪い気はしない。
「側近になってほしいが、その気もないのだろう」
「まぁ、いつか考えますよ」
龍は頬が緩んだのを自覚した。きっとだらしない表情が文の瞳には映っただろう。
「少し考え直しても良いでしょうか?」
「待ってくれ。前向きに検討してくれ」
「気が変わりましたよ……」
文はそう言って、龍の横を通っていった。何故か追いかけることが出来ず、ただその背中を見ることしか出来なかった。密命を受けた者の覚悟だろうか。長く耐えてきた射命丸の御家の使命だろうか。言い難い威圧感を受けた。
「いつか迎えに行くからな」
文に聞こえないような声で呟くと心が熱くなってきた。
「射命丸、いい加減私の側近となれ」
「嫌です」
龍は文の屋敷に入ると開口一番交渉を行うが、死ぬほど嫌そうな顔が返ってきた。
「今の巫女は長持ちするし、暇だろう?」
「新聞で忙しいのですが」
「あの時はいつか考えてると言っただろう?」
「いつかがいつとは言ってませんけど。というか、よくそんなことを覚えていますね」
「お前のことを正当に評価しているのは私とお前だけだ。何年でも声をかけるさ」
「今年であの宴から三十年は経ちましたよ」
「それは三十年経っても、諦めない私を褒めてくれ」
「大天狗様が一介の天狗に媚びているのはとんだスクープですよ」
「別に良いんだぞ? そうすれば、お前は大天狗に頭を下げさせたことで処分対象だからな」
「……じゃあ、白狼天狗の監視に行ってきます」
「あ、おい……!」
龍といえども、文の速さには付いていけない。素早く脇から抜けられると玄関から去っていってしまった。空を見上げるともう追いつかない距離まで行ってしまった。
「やれやれ、ちゃんと誓書をもらっておけば良かったか……」
強制的な辞令でも良いが、あの手の者は同意を得てからこそに価値がある。
密命でしか動かせない賢者を超え、他の大天狗さえも敵わない側近を手に入れる。この歓びをいつか経るにはさらに精進するしかないのだろう。
何十年、何百年でも。