───以下、名無しの妖精がお送りいたします。
大妖精は観測します。氷精の笑顔を。
今年の桜は弾幕のごとく華やいでいました。博麗の神社では恒例の花見宴会が行われていました。
桃色の景色を背に人間や妖怪が料理や酒を持ち寄っては思い思いに騒いでいます。
そんな大きな輪の中に一際うるさく目立つ氷精の姿がありました。
その青々しさは周りの喧騒に負けないほど際立っていました。
「チルノ、こっちへ来なよ」と誰かが呼びかけます。チルノちゃんはそちらへ向かいました。「チルノ、これ食べてみて」と別の誰かが手招きします。チルノちゃんはそちらへ向かいました。
名前を呼ばれるたびに、チルノちゃんはそこにいました。呼ばれては向かい、呼ばれては向かい、まるで名前に引っ張られているようでした。
そして、いつものように各々に自信満々で大袈裟に語るのです。
酔っ払った者たちの甲高い呆れた笑い声が度々聞こえてきました。
でも、チルノちゃんは馬鹿にされても揶揄われてもとても嬉しそうでした。 皆にとって彼女の存在は何よりの肴となっていました。
せっかくの花見だと言うのに誰も桜など気にもしていません。
かくいう、私以外は。
私の名前は、今日誰にも呼ばれていません。
いや、そもそも私には名前すらありませんでした。
「あそこにいたらなんと呼ばれるのだろう…」
そんな幻想が頭の中を覆いました。 あの輪の中に自分がいる光景が少しぼやけて見えました。
気がつけば桜の花びらが、私の髪にたくさんついていました。当然誰も指摘する者はいません。私はそれらをそっと払いました。私はそれできっと十分なのだと思い込むことにしました。
ふと見上げるとあの凛々しく青々しい姿が近づいてくるのに気が付きました。チルノちゃんは嬉しそうにどこか疲れた様子で私に顔を向けました。そして私に何かを言いかけました。
でも、すぐに名前を呼ばれてしまいました。
彼女は少し立ち止まったあと、輪の中に向かってそっと消えていきました。
大妖精は観測しました。チルノちゃんの笑顔を。
───以下、名無しにかわりまして氷精がお送りいたします。
花見の宴会というのは、私にとって得意な場所でした。
誰かが私の名を呼んでくれます。声の元へ向かいます。いつも通りの態度で話します。皆が大笑いしてくれました。
それを何度も何度も繰り返しました。
時にはバカにされたり弄られたりもしました。
それでも私は私であり続けました。楽しんでくれるのであればそれで良かったのでした。それがきっと気持ち良いのだとそう思うことにしました。
せっかくの花見なのに桜を見ている余裕はありませんでした。
ふと、私は輪の外に目を向けました。
満開の桜の木の下に、小さな妖精が一人座っていました。料理を少しずつ嗜みながら、宴会の様子をじっと見ていました。
「あそこにいたらゆっくりと花見ができるのにな…」とふと思ってしまうのでした。
桜の花びらが、彼女の髪にたくさんついていました。
彼女はそれらを振り払いました。凛とした淡い髪の毛が桜に負けじと舞っていました。
気がつけば声をかけようと彼女の元へ足が動いていました。
しかし、私の名前を呼ぶ声が後ろから聞こえてきました。
私の声は彼女に届きませんでした。
仕方なく輪の中に戻る前に彼女をゆっくりと振り返りました。
氷精は観測しました。名無しの妖精の笑顔を。